My Mortal Enemy -Myraは唯美主義者か金の亡者か-
2008.07.31




Willa Cather(1873-1947)は、「十九世紀の芸術至上主義の信条を奉じ」(佐藤 216)ていた作家である。
彼女の小説My Mortal Enemy(1926)に登場するMyra Henshaweには、その反映とも取れる、唯美主義的な振る舞いが多く見られる。
しかしMyraは作中において、美を求めるのと同じように、金を欲しているように思える。
本論では、Myraがその生涯を通して真に求めたのは、美と金のどちらであったのかということについて考察してみたい。

初めに第1部第5章について分析する。この章は、Myraにとっての美と金というものが対比的に、明瞭に描かれた章である。
この章にはNew YorkにおけるMyraの2種類の友人に関する記述があるが、その2種類の友人はそれぞれMyraにとっての美と金に関連する人々である。
彼らに対するMyraの姿勢から、彼女の価値観を分析する。以下詳細に見てゆく。

まず美に関するMyraの友人についてである。
これはつまり
 "artistic people―actors, musicians, literary men"(My Mortal Enemy 32)
といった人々である。
Myraは彼らに敬服しており、常に最上の接し方を心がけている。
具体的には、演劇界の人々を主賓とするパーティを大晦日に開いたり、Anne Aylwardという新進気鋭の詩人と深い交際を続けていたり、といったことが挙げられる。
特にAnne Aylwardとの親交の場面においては、語り手NellieがMyraを指して
 "Never had I seen her so brilliant and strangely charming"(My Mortal Enemy 35)
と述べるほどにMyraはこの上なく生き生きとしており、美・芸術家との接触に至上の喜びを見出す唯美主義者としての面が強く表出していると言えよう。

一方、金に関するMyraの友人、彼女の言葉で言うところの
 "'moneyed' friends"(My Mortal Enemy 32)
についてであるが、これは夫であるOswaldの仕事上の友人である。
こちらの友人に関しては、
 Among these people Mrs. Myra took on her loftiest and most challenging manner. […] the rich and powerful irritated her. Their solemnity was too much for her
 sense of humour; there was a biting edge to her sarcasm, a curl about the corners of her mouth that was never there when she was with people whose
 personality charmed her.(My Mortal Enemy 33)
といったような記述がなされており、芸術家の友人に相対する時とは対照的に、Myraは明らかにこの金持ち連中を毛嫌いし、軽蔑していることが窺える。

以上の2種類の交友関係の分析だけからすれば、
第1部第5章の時点、New York時代のMyraは明らかに唯美主義者であって、金の亡者としての要素は皆無に等しい。ひたすら美を愛し、金を嫌っているように見える。
しかしその一方でこの章には、彼女の金への執着をほのめかす箇所もいくつか見受けられる。
例えばNellieが
 "insane ambition"(My Mortal Enemy 34)
と称したところの、Myraの四輪馬車への嫉妬や、
Myra自身の
 "'it's very nasty, being poor'"(My Mortal Enemy 34)
という発言などである。
また、マチネーでの作家に関するエピソードであるが、以前Oswaldの苦境の際に援助を断られたためにMyraはその作家を許せずにいるわけである。
はっきりとは書かれていないが、もし断られたその援助というのが金銭的な類のものであったとするならば、
取りも直さずMyraは金を重んじるが故に美(作家=芸術家)を否定していることになる。先述した2種類の交友関係の分析によるMyraの価値観とは真逆のものである。
このように金の亡者としての面も散見されるものの、それでもやはりこのNew York時代のMyraの第一の印象は、唯美主義者である。

続いてNew York時代の10年後にあたる第2部、Myraの晩年における価値観について考察する。
晩年のMyraも、
 "It(=smell of the sea)'s apt to come in on the night wind. I live on it."(My Mortal Enemy 55, 括弧内は引用者)

 "Mrs. Henshawe got great pleasure from flowers"(My Mortal Enemy 59)
などから窺える自然美への愛情、あるいは
"How the great poets do shine on, Nellie! Into all the dark corners of the world. They have no night."(My Mortal Enemy 68)
というような発言や、Madame Modjeskaのためにミサを行うという行為から読み取れる芸術家への畏敬など、
New York時代と変わらぬ唯美主義者的側面を持ち合わせてはいる。
しかしこの時代の、病床に臥せるMyraには、死への恐怖と結びついた、金の亡者としての面がより強烈に表れている。
最も印象的なのは
 "Oh, that's the cruelty of being poor; it leaves you at the mercy of such pigs! Money is a protection, a cloak; it can buy one quiet, and some sort of dignity."
 (My Mortal Enemy 57)
というMyraの発言である。

このように見てくると、Myraは概して、New York時代には美を重んじ、晩年には金を重んじているように見える。
果たしてどちらが真にMyraの求めたものなのだろうか。
その問いに対する回答は、晩年のMyraの複数の発言によって極めて明快になされる。
即ち
 "It was money I needed."(My Mortal Enemy 62)
 "I am a greedy, selfish, worldly woman; I wanted success and a place in the world."(My Mortal Enemy 62)
 "I was always a grasping, worldly woman; I was never satisfied."(My Mortal Enemy 72)
といった箇所である。
これらはもちろん、Myraの晩年における金の亡者としての側面の強烈な表れであると同時に、
晩年だけでなく生涯を通して彼女の本質は金の亡者であったのだということの、極めて重大な告白である。
この告白に拠るならば、唯美主義的に振る舞っていた、芸術家に囲まれたNew York時代には一切満足を得ておらず、
むしろ当時散見されるに留まっていた金の亡者としての振る舞いこそがMyraの本質であったということになる。
Myraの本質が唯美主義者でなく金の亡者であることの証左は、彼女の死に場所の選択にも象徴的に見出す事が出来る。
彼女は岬から海を、それもおそらく夜明けの海を見ながら死んだと思われるが、
彼女は生前海の夜明けについて、
 That is always such a forgiving time. When that first cold, bright streak comes over the water, it's as if all our sins were pardoned; as if the sky leaned over the
 earth and kissed it and gave it absolution. You know how the great sinners always came home to die in some religious house, and the abbot or the abbess went
 out and received them with a kiss?(My Mortal Enemy 61)
と述べている。
これは明らかに夜明けの海に対して、美よりも宗教的意味を見出している発言である。
そしてその宗教的イメージはどうやら、最後の一文からも想起し得ることであるが、彼女の故郷であるParthiaの修道院に結び付いているように思われる。
もちろん、最晩年
 "an ebony crucifix with an ivory Christ"(My Mortal Enemy 75)
を肌身離さず持っていたようなMyraが、単純に夜明けの海がもたらす宗教的平穏の中での死を求めたのだとも解釈し得るが、
その宗教への依存の背後には、Myraの内面におけるParthiaの修道院への回帰、
そして更には、かつてParthiaにおいて謳歌した、叔父の擁護の下での豪華絢爛で裕福な少女時代、
即ち今は失われてしまった金への狂気的憧憬、執着があったようにも思えるのである。

以上本論ではMyraの真に求めたものは美か金かということについてピンポイントに論じてきたが、結論としては金であったということになる。
しかしMyraの唯美主義的側面は、とりわけNew York時代に極めて豊富に描かれているため、
仮にMyraの真に求めたものではなかったとしても、彼女の本質の一部として無視することは出来ないであろう。







使用テクスト
Cather, Willa. My Mortal Enemy. New York: Vintage Books, 1990.

参考文献
佐藤宏子「評価」(1967) 石井桃子編『キャザー』pp.203-225. 研究社



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